「証拠(しょうこ)」って何?【その2】

さて今回は,「証拠」の続きです。

前回は,証拠の意味(『訴訟法上,判決の基礎たる事実の存否につき裁判官の判断の根拠となるような資料』等)とか,証拠の具体例のお話をしました。

「借用書」,「領収証」,「契約書」,「診断書」「携帯メール」から,「血の付いたナイフ」,それに目撃証人の証言等々,証拠となるものには実にいろいろな種類があることをお話ししました。

そして,合わせて前回(6月号)でもお話ししたとおり,皆さんに覚えていただきたいことは,「自分に権利があることや,義務がない(なくなった)ことなど,相手方や周りに主張したい(主張する必要がある)ことがあるときは,後で困らないよう,必ずその裏付けとなる『証拠』を残しておきましょう。」ということです。

前回,自分に権利があることや,反対に義務がない(なくなった)ことについては,面倒でもその都度きちんと証拠を作っておかないと,後になって思いがけないトラブルに巻き込まれ,大変困ったことになるかも知れないので,注意が必要です,と言いました。

これをもう少し具体的に,「裁判」との関係でいいますと,実は裁判のルールとして,「自分に有利な効果を主張したい人は,その有利な効果を発生させるために必要な事実があることを証明しなければならない。仮にそうした証明ができなかった事実は,裁判上はいわば『ないもの』と扱われ,結局その有利な効果を認めてもらえなくなる。」というルールがあります。例えば,借りていたお金を返す人は,お金を返す際に貸主から署名捺印をしてもらった「領収証」等をもらっておかないと,「その借金を返した事実」の証明ができなくなり,その結果,裁判上は「その借金を返していない」のと同じに扱われてしまう危険性が大きくなってしまうのです。もちろん,領収証以外の証拠,例えばその借金の返済として貸主にお金を渡した一部始終の様子を見ていた立会人がいたら,その立会人が証人として証言してもらう方法により,「その借金を返した事実」を証明できることもあるかも知れません。しかし,そうした立会人がいることはまれですし,立会人がいても,その一部のやり取りしか見ていなかったら,「その借金を返したこと」の証拠にはならないかも知れません。このように,きちんとした領収証を作成しておく以外の方法で「その借金を返した事実」を立証することは,実際にはすごく難しい(場合によっては絶望的な)ことが多いのです。

仮に裁判に持ち込まれても権利が認められないとなれば…ということで,証拠がない場合には,裁判の前の段階の交渉においても,相手方がこちらの言い分を認める可能性は小さくなります。

また,ある相手方から犯罪被害を受けたとして警察に相談するにしても,実際にその相手方に対する捜査を始めてもらうためには,被害に遭ったこと(その相手方につき犯罪行為が疑われる事実)を,一定の証拠に基づきある程度は証明する必要があるでしょう。そうしたある程度の証明もできない場合には,相手方に犯罪事実の疑いがあるかどうかわからない,だから警察もおいそれとは動けない,という回答になる可能性が高くなります。

このようなお話をすると,皆さんの中には割り切れない気持ちになる方もいるかも知れません。特に,証拠がない(作らなかった又は失くした)ためにあるはずの権利を認めてもらえなかった経験をされた方は,例えば「神様は見てるのに…」という,やるせない思いを抱かれているかもしれません。

そうした思いはもっともだと思うのですが,ここに「裁判」の守備範囲というものがあります。すなわち,「裁判所(裁判官)」は,「神様」でも「エンマ大王」でも,また「遠山の金さん」でもない,ということです。

前々回にて,「裁判所」とは,ある人が持ち込んだ紛争につき,「法律」と「証拠」に基づいて,権利の有無等を最終的に裁判官に決めてもらう場所だということをお話ししました。このように紛争を最終的に解決するといっても,裁判官は「神様」や「エンマ大王」や「遠山の金さん」のように何でもお見通しといった超人的な力があるわけでも,また昔の「王様」のように(革命でも起きない限り)何でも(人を死刑にすることすら)気分次第で決められる権力があるわけでもありません。そういう立場の「裁判官」が,どういう方法で紛争を解決するかというと,自分の「ひらめき」とか「人間関係」とか「好き嫌い」とか「見た目」とか「周りの噂」とかで決めるのではなく,まさに『証拠』から「事実」の有無を認定し,その「事実」に基づき「権利」の有無を判断するという方法をとります。こうした方法をとることによって,事実認定のプロであって「神様」や「王様」ではない「裁判官」の最終的な判断が,皆さんの納得のいく(場合によっては批判にさらされ是正され得る)ものとなるのです。そして,裁判の中で,きちんとした『証拠』から認定された「事実」に基づき認められれば,性別・年齢・出身・社会的地位・収入その他の財力・腕力の有無・大小に関わらず,その他の力関係に左右されず,等しく「裁判所」にて権利の存在を認めてもらえるという形で,紛争を解決してもらえる,ひいては,私達の権利(基本的人権)が保障されたり,法の下の平等が守られたりするのです。

以 上


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